2013年2月17日日曜日

【2】★★★ローマ人の物語3~5 ハンニバル戦記(新潮文庫)

『ハンニバルとスキピオは、古代の名将5人をあげるとすれば、必ず入る二人である。現代に至るまでのすべての歴史で、優れた武将を十人あげよと、言われても二人とも確実に入るにちがいない([下]62P)』と著者の塩野七生氏は述べている。同じ格の才能をもつ名将同士が戦うのは、歴史上、まれな例であるらしく、実際にそれが起きるのがこの「ハンニバル戦記」だ。生死を賭けた駆け引きは読んでいて飽きない。と同時に国家や人生の無常も感じる内容だ。 第三次ポエニ戦争のローマ軍司令官スキピオ・エミリアヌスは、陥落したカルタゴの街を前にこのように言ったという。「今われわれは、かつては栄華を誇った帝国の滅亡という、偉大なある瞬間に立ち合っている。だが、この今、わたしの胸を占めているのは勝者の喜びではない。いつかはわがローマも、これと同じときを迎えるであろうという哀感なのだ」


≪第一次ポエニ戦争(前264~前241)≫
◆戦争勃発の原因◆
シチリア島の西部を支配していたカルタゴが、東北部の独立国メッシーナに侵攻したことがきっかけとなり、メッシーナはローマに救援を要請、ポエニ戦争の先端が開かれる。

◆主な戦域◆
カルタゴ領シチリアおよびカルタゴ領アフリカ

◆戦争の推移(ローマ側勝利を○、カルタゴ側勝利を●で表記)◆
・前264年
○ローマ軍の勝利(カルタゴと同盟していたシラクサ軍を撃破)
○ローマ軍の勝利(カルタゴ軍を撃破)
○ローマ軍シラクサを包囲
・前263年
○ローマとシラクサが講和
・前262年
○ローマが島南部のカルタゴ側の都市アグリジェントを攻略
・前260年
○ローマ海軍大勝(ミラッツォ沖の海戦:カルタゴ軍の死者3千、捕虜7千)
・前257年
○ローマ海軍勝利(パレルモ沖の海戦)
・前256年
○ローマ海軍大勝利(リカータ冲の海戦)
○ローマ軍、アフリカ北岸のカルタゴ側の都市クルペアを攻略
・前255年
●カルタゴ軍大勝利(アフリカでの会戦:カルタゴ軍1万6千VSローマ軍1万5百、ローマ軍の死者8千)→クルペアからの撤退(アフリカ侵攻作戦失敗)→撤退中、海難事故6万人死亡
○ローマ軍海軍勝利(ヘルマエウム岬の沖合の海戦)
・前253年
○ローマ軍、カルタゴ側の都市パレルモを攻略。 
○ローマ軍大勝利(パレルモ攻防戦、カルタゴ軍の戦死者2万)
・前249年
●カルタゴ海軍大勝利(トラパニ港外の海戦、ローマ軍の戦死者2万)
・前242年
○ローマ軍、カルタゴ側の都市マルサラを攻略
・前241年
○ローマ海軍勝利(エガディ諸島冲の海戦)
○ローマとカルタゴ、講和

◆講和内容◆
カルタゴのシチリアからの撤退、賠償金


≪第二次ポエニ戦争・ハンニバル戦争(前219~前202)≫
◆戦争勃発の原因◆
カルタゴの将軍ハンニバルがスペインにあるローマの同盟都市サグントを攻略。これにローマが宣戦布告したことで、戦端が開かれる。

◆主な戦域◆
イタリア、カルタゴ領スペイン、カルタゴ領アフリカ

◆戦争の推移◆
・前218年
●ハンニバル、歩兵9万、騎兵1万2千を連れ、カルタヘナから出陣→アルプス越えを達成した時の兵力は、歩兵2万、騎兵6千
●ハンニバル軍、勝利(イタリア北部・ティチーノの戦い;ハンニバル軍4千以上VSローマ軍4千→ローマ軍600名が捕虜に)
●ハンニバル軍、大勝利(イタリア北部・トレッビアの会戦:ハンニバル軍3万8千うち騎兵1万VSローマ軍4万うち騎兵4千弱→ローマ軍の戦死者2万)
・前217年
●ハンニバル軍、大勝利(イタリア中部・トラジメーノ河畔の戦い:ハンニバル軍5万VSローマ軍2万5千→ハンニバル軍の戦死者2千、ローマ軍の戦死者1万7千・捕虜6千)
・前216年
●ハンニバル軍、大勝利(イタリア南部・カンネの会戦:ハンニバル軍5万うち騎兵1万VSローマ軍8万7千うち騎兵7千2百→ハンニバル軍の戦死者5千5百、ローマ軍の戦死者7万)
●ローマの同盟都市でイタリア中部の中核都市カプアがハンニバル側につく
・前215年
●ローマの同盟都市シラクサがハンニバル側につく
●ハンニバル、マケドニア王国と同盟
・前213年
●ハンニバル、イタリア南部の中核都市ターラントを攻略
・前211年
○ローマ軍、シラクサを攻略
○ローマ軍、カプアを攻略
●カルタゴ軍、ローマ軍に大勝利(スペイン戦線にて)
・前210年
●ハンニバル軍、南イタリア戦線で勝利
○ローマ軍、ハンニバル軍に勝利(ネミストローネの会戦)
・前209年
○スキピオ率いるローマ軍、スペインのカルタゴの本拠地であるカルタヘナを急襲、攻略
○ローマ軍、ターラントを攻略
・前208年
○スキピオ軍、勝利(スペイン・ベクラの会戦:スキピオ軍2万5千VSカルタゴ軍2万五千→カルタゴ軍の死者8千、捕虜1万2千)
・前207年
○ローマ軍、アルプス越えしてきたカルタゴ軍に大勝利(ローマ軍4万VSカルタゴ軍5万)
・前206年
○スキピオ軍、大勝利、スペイン制覇(スペイン・イリパの会戦:スキピオ軍4万8千うち騎兵3千VSカルタゴ軍7万4千うち騎兵4千)
・前205年
○ローマ、マケドニア王国と講和
○スキピオ軍、イタリア南部のロクリを攻略、ロクリは10年ぶりにローマに復帰
・前204年
○スキピオ軍2万6千がアフリカに上陸
○カルタゴ軍1万4千がジェノヴァに上陸、イタリア北部に侵攻するが、敗北
○スキピオ軍、大勝利(アフリカでの戦い:スキピオ軍2万6千VSカルタゴ軍9万3千→カルタゴ軍の戦死者3万)
○スキピオ軍、勝利(アフリカでの戦い:スキピオ軍2万6千?VSカルタゴ軍5万2千以上?)
・前203年
○ハンニバル、イタリアの占領地放棄。1万5千のみ連れて、イタリア南部からアフリカへ撤退
○ジェノヴァのカルタゴ軍8千も、アフリカへ撤退
・前202年
○スキピオ軍、大勝利(アフリカ・ザマの会戦:スキピオ軍4万うち騎兵6千VSハンニバル軍5万うち騎兵4千→スキピオ軍の戦死者1千5百、ハンニバル軍の戦死者2万以上、捕虜2万以上)
○ローマ、カルタゴと講和

◆講和内容◆
カルタゴの海外領土の放棄、カルタゴの自衛レベルへの軍事力削減、賠償金


《第三次ポエニ戦争(前149~前146)》
◆戦争勃発の原因◆
ローマの同盟国ヌミディアのカルタゴ国内への侵攻に対するカルタゴ軍の反攻

◆戦争の結末◆
ローマ軍による2年以上のカルタゴの包囲の末、落城。市民6万人のうち5万人が奴隷に。700年の歴史を持つカルタゴの滅亡。カルタゴのかつての領土は、ローマの属州となり、「属州アフリカ」に変わった。


0 件のコメント:

コメントを投稿