2013年3月2日土曜日

【6】ローマ人の物語35~37 最後の努力(新潮文庫)

紀元4世紀前半、古代ローマ帝国はパクスロマーナ(紀元前27年~紀元180年)から100年以上経ち、誰の目にも国家の衰退が明らかになっていた。この時の皇帝はコンスタンティヌス。前の皇帝のディオクレティアヌスとともに様々な政策を行っていた。「ディオクレティアヌスとコンスタンティヌスの二人の皇帝によって、ローマ帝国は再生したとする研究者は多い。だがこの二人は、ローマ帝国をまったく別の帝国に変えることによって、ローマ帝国を起たせておくことには成功したのである」

研究者の一人は言う。「もしもコンスタンティヌスが存在しなかったとしたら、キリスト教会は、教理の解釈をめぐってのたび重なる論争とその結果である分裂につぐ分裂によって、古代の他の多くの宗教同様に消え失せていただろう」313年、この皇帝が出した「ミラノ勅令」で宗教の自由を認め、325年、ニケーア公会議を開き、この会議で決まった「形」でのキリスト教が、今に至るまでの「キリスト教」となった。

塩野氏の本によると、コンスタンティウスはどうやら異端とされたアリウスの考えに共鳴していたようだが、それまで正統的考え方とされてきた三位一体説を認め、キリスト教会の組織としての統一を重視したとされる。 「権力者に権力の行使を託すのが人間であるかぎり、権力者から権力を取り上げる、つまり権力者をリコールする、権利も人間にありつづけることになる。だが、もしもこの権利が、人間ではなく、他の別の存在にあるということになったらどうだろう」。コンスタンティヌス帝の必要を満足させる神は、一神教の神しかいなかった。

-------------------おまけ--------------------
塩野氏は宗教を一歩引いて見ている。興味深い箇所を引用してみる。 「論理的に見るならば、神とイエス・キリストとは同位ではないとするアリウス説の方に説得力がある。また、十字架上で死んでも、人間に対して優しく深い真実の道を説いた人としてのイエスで、充分ではないかとする考え方もあるだろう。とは言うものの、キリスト教徒ではない私でも、三位一体説のほうを選択したキリスト教の聖職者たちの想いもわかるのだ。なぜなら人間は、真実への道を説かれただけでは心底からは満足せず、それによる救済まで求める生きものだからである」 「アリウスの説よりも三位一体説のほうを選択した四世紀当時のキリスト教会の判断は、事実か事実でないかよりも信じるか信じないかに基盤を置く宗教組織としては、まことに適切であったと考えるしかない。いや、三位一体説を採用したからこそ、世界宗教になっていく道が開けたとさえ思う。そして、これを決めたのが、コンスタンティヌスが主導したニケーア公会議なのであった」

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