2013年2月17日日曜日

【1】ローマ人の物語1~2 ローマは一日にして成らず(新潮文庫)

このブログは、姉妹サイトの「私が選ぶ就職・キャリアの本50冊」より分離・独立して作成しました。テーマを絞っていくためです。今後ともよろしくお願いいたします。

まず最初に紹介する本は、「ローマ人の物語1、2 ローマは一日にして成らず(塩野七生著、新潮文庫)」です。これまでに、同シリーズの作品は、何冊か紹介してきましたが、この本は記念すべきシリーズ第一作となります。

小さな町にすぎなかったローマが大国となった理由に著者は、言及していますので、以下に挙げてみます。 ローマ興隆の要因について、三人のギリシア人は、それぞれ次のように指摘している。 ハリカルナッソスのディオニッソスは、宗教についてのローマ人の考え方にあった、とする。人間を律するよりも人間を守護する型の宗教には、狂信的傾向がまったくなく、それゆえに他の民族とも、対立関係よりも内包関係に進みやすかったからだろう。他の宗教を認めるということは、他の民族の存立を認めるということである。 自身政治指導者であったポリビウスとなると、ローマ興隆の要因は、ローマ独自の政治システムの確立にあった、と考える。王政、貴族政、民主政という、それぞれが共同体の一部の利益を代表しがちな政体に固執せず、王政の利点は執政官制度によって、貴族政の利点は元老院制度によって、民主制度のよいところは、市民集会によって活用するという、ローマ共和政独自の政治システムに興隆の因があるとしたのだった。なぜなら、この独自の政治システムの確立によって、ローマは国内の対立関係を解消でき、挙国一致の体制を築くことができたからである。 一方、プルタルコスとなると、ローマの興隆の要因を、敗者でさえも自分たちと同化する彼らの生き方をおいてほかにない、と明言している。(下・206~207P)

これら三人の史家の指摘は、私には三人とも正しいと思われる。それどころか、ローマ興隆の要因を求めるならば、この三点全部であると思うのだ。なぜなら、いずれも古代では異例であったというしかないローマ人の開放的な性向を反映していることでは共通するからである。 古代のローマ人が後世に遺した真の遺産とは、広大な帝国でもなく、二千年経ってもまだ立っている遺跡でもなく、宗教が異なろうと人種や肌の色がちがおうと同化してしまった、彼らの開放性ではなかったか。 それなのにわれわれ現代人は、あれから二千年が経っていながら、宗教的には非寛容であり、統治能力よりも統治理念に拘泥し、多民族や多人種を排斥し続けるのをもやめようとしない。(下・208~209P)

西暦紀元の前と後のちょうど境めに生きたギリシア人の歴史家ディオニッソスは、その著作「古ローマ史」の中で次のように言っている。 「ローマを強大にした要因は、宗教についての彼らの考え方にあった」 ローマ人にとっての宗教は、指導原理ではなく支えにすぎなかったから、宗教を信ずることで人間性までが金縛りになることもなかったのである。強力な指導原理をもつことには利点もあるが、自分たちと宗教を共有しない他者は認めないとする、マイナス面も見逃せない。 ディオニッソスによれば、狂信的でないゆえに排他的でもなく閉鎖的でもなかったローマ人の宗教は、異教徒とか異端の概念にも無縁だった。戦争はしたが、宗教戦争はしなかったのである。 (上・74P)

ローマ人の柔軟性は、経済人であったヴェネツィア人さえもはるかに越えていた。ローマでは、執政官を務めた者も、財務官に選ばれれば財務官を務める。ローマでは、上位にあった者が下位の官職を務めることは、政官界にかぎらず軍隊でも行われ、不名誉とも不適切とも思われていなかった。 (下・113P)