「ローマ人の物語11~13 ユリウス・カエサル ルビコン以後(新潮文庫)」はいつ読んでも面白い。この巻は、共和政ローマの内戦とカエサル暗殺そして、アントニウスとアウグスティヌスとの内戦という、激動の時代を扱っている。整理するため、内戦からカエサルの暗殺まで、流れを自分なりにまとめてみた。
紀元前41年1月12日、ルビコン川を渡って、国家の反逆者となったカエサルは、そのままローマを制圧した。この時点でカエサルの勢力圏は、ローマ本国(シチリア、コルシカ島など含む)とガリア。一方の政敵ポンペイウスは、ギリシア、小アジア、シリア、エジプト等のオリエントとアフリカ、スペインであった。経済力の差でいくと、ガリアは4千万セステルティウスの属州税の支払い能力に対し、小アジアとシリアだけで2億セステルティウスであり、圧倒的にポンペイウスの方が有利であった。
カエサルとポンペイウスとの内戦をまとめてみる(○が勝利、●が敗北)。
<スペイン戦役(紀元前49年6月~9月)>
○カエサル軍(指揮官カエサル)の兵力⇒6個軍団2万7千の重装歩兵に騎兵は3千。
●ポンペイウス軍(指揮官アフラニウスとペトレイウス)の兵力⇒5個軍団3万の重装歩兵に現地兵4万8千の計7万8千の歩兵。騎兵は5千。他にヴァッロ率いる2個軍団。
結果⇒カエサルのスペイン制圧。スペインにおけるポンペイウス軍の解体。
<アフリカ戦線(紀元前49年8月)>
●カエサル軍(指揮官クリオ)の兵力⇒2個軍団2万五千と5百騎⇒全滅
○ポンペイウス軍(ヌミディア王ユバ)⇒1万の歩兵、2千の騎兵、60頭の象
<アドリア海の制海権を巡る戦い(紀元前49年8月)>
●カエサル軍(指揮官ドラベッラとアントニウス)⇒20個大隊1万2千と40隻⇒ほぼ全滅
○ポンペイウス軍(指揮官リボ)
<ドゥラキウム(ギリシア西部)攻防戦(紀元前48年4月~7月)>
兵力の少ないカエサルが、ポンペイウスの守るドゥラキウムを包囲
●カエサル軍(指揮官カエサル)⇒2万と8百騎⇒歩兵1千騎兵2百騎が戦死
○ポンペイウス軍(指揮官ポンペイウス)⇒6万
結果⇒カエサルの撤退。ギリシア中部への転進。
<ファルサルス(ギリシア中部)の会戦(紀元前48年8月)>
○カエサル軍(指揮官カエサル)⇒2万2千と1千騎
●ポンペイウス軍(指揮官ポンペイウス)⇒4万7千と7千騎⇒死者6千、捕虜2万4千
結果⇒ポンペイウス軍完敗。ポンペイウスはエジプトへ逃亡し、その地で殺害さる(同年9月)。
カエサルは、かつての盟友の死をその著作に「アレクサンドリアで、ポンペイウスの死を知った」とだけ書いた。
現代のイギリスの研究者は、次のように書く。
「ポンペイウスは、戦場ならば、カエサルが敵にまわすに値したただ一人の武将であった。だが、ドゥラキウムでのカエサルが、敗北を喫した軍では最後に戦場を捨てた戦士であったのに対し、ファルサルスでのポンペイウスは、最初に戦場を捨てた戦士だったのである。そして、天才と単に才能のある者を分けるのは知性と情熱の合一だが、ポンペイウスにはそれが欠けていた」
紀元前44年3月15日はカエサル暗殺の日である。暗殺実行犯の14人の動機は、王政への移行を阻止し、元老院主導の共和政にもどすことにあった。「人間ならば誰にでも、すべてが見えるわけではない。多くの人は、自分が見たいと欲する現実しか見ていない」とカエサルは言った。カエサルの考えていたのは「帝政」という新政体であったが、それを「見たいと欲しない」彼らが見ていたのは、あくまでも初期のローマの政体であり、当時の他の君主国の政体でもあった「王政」であったからだ。王政がカエサルの窮極の意図ならば、それを実現の前につぶさねばならぬ。これで14人は一致したのである。
暗殺派の精神的主柱キケロの考える「祖国」は、彼が理想としたのがポエニ戦役時代のローマであったことからも、本国に生まれたローマ人が、それもローマ人中のエリートである元老院階級が、主導権をふるって統治する国家であった。そのキケロにしてみれば、北のルビコン川に南のメッシーナ海峡という、本国と属州をへだてる国境は自明の理であり、その国境の内側だけが「祖国」であったのだ。
一方、カエサルの考えた「祖国」には、防衛線はあっても国境はない。本国に生まれたローマ市民の、しかもその中の元老院階級に生まれた者だけが、国政を専有しなければならないとも考えていない。被征服民族の代表たちに元老院の議席を与えて、ローマ人純血主義のキケロやブルータスらの反撥を買ってしまったくらいなのだ。カエサルには、国家のためにつくす人ならば、ガリア人でもスペイン人でもギリシア人でも、いっこうにかまわないのであった。ただし、カエサルの「祖国」は、ローマ文明の傘の下に、多人種、多民族、多宗教、多文化がともに存在しともに栄える、帝国であったことは言うまでもない。
イタリアの高校の歴史の教科書は、「3月15日」を次のように言い切る。
<懐古主義者たちの自己陶酔がもたらした、無益どころか有害でしかなかった悲劇>