2013年10月24日木曜日

【10】★★十字軍物語1(新潮社)

世界史Bの教科書(山川出版社)の第一次十字軍の記載は以下の通りである。
「11世紀に東地中海沿岸に進出し、聖地イェルサレムを支配下においたセルジューク朝は、ビザンツ帝国をもおびやかしたので、ビザンツ皇帝は教皇に救援を要請した。教皇ウルバヌス2世は1095年クレルモン宗教会議を招集し、聖地回復の聖戦をおこすことを提唱した。こうして翌96年諸侯や騎士からなる第一回十字軍が出発し、1099年イェルサレムを占領してイェルサレム王国をたてた」
教科書では歴史の面白さは十分に分からない。塩野七生氏の「十字軍物語1」は第一回十字軍を知るための最良の参考書の一つである。本に基づき、私なりに第一回十字軍をまとめてみた。



【第一回十字軍(諸侯たちの十字軍)】1096~1099年
<きっかけ>1095年のクレルモン公会議
教皇ウルバン2世のオリエント遠征の呼びかけ:キリスト教徒同士の戦争を批判、勢力を広げているイスラム教徒を攻撃すべきと演説

<構成>キリスト教国の領主7名:総勢50,000程度(中心は、ゴドフロア、ボエモンド、サン・ジルの三名)
①フランスの王弟ユーグ…小規模 →アンティオキア攻略後、帰国
②ノルマンディー公…小規模 →イェルサレム解放後、帰国
③ブロア伯…数百~1,000 →アンティオキア攻防戦中に戦線離脱
④フランドル伯…騎兵500 →イェルサレム解放後、帰国
⑤トゥールーズ伯サン・ジル…25,000 →トリポリ伯領の基盤を築く
⑥ロレーヌ公ゴドフロア…騎兵5,000、歩兵15,000→イェルサレムの統治者に
ボードワン(弟)→「エデッサ伯」→ゴドフロアの死後、イェルサレム王「ボードワン一世」に
もう一人のボードワン(いとこ)→「エデッサ伯」→ボードワン一世の死後、イェルサレム王に
⑦ブーリア公ボエモンド…騎兵5,000、歩兵10,000 →「アンティオキア公領」
タンクレディ(ボエモンドの甥)

<経過1>
・1096年夏以降 諸侯がヨーロッパ各地から集結地のコンスタンティノープルに向けて立つ
○1097年5月  小アジアに上陸し、セルジューク朝の支配下のニケーアを包囲、10,000のセルジューク朝の援軍を退け、6月に無血開城。
○1097年6月  ドレリウムの戦闘(セルジューク朝23,000の損失、十字軍4,000の損失)。
○1097年秋   ボードワンとタンクレディの別動隊がタルソスを占拠
・1097年    ボードワン歩兵2,000と騎兵500を率いてエデッサに入城。「エデッサ伯領」の成立。
・1097年10月 アンティオキア攻防戦
○1098年6月  アンティオキア陥落、市内での殺戮。その後イスラムの救援軍によって逆包囲されるが撃破。

<アンティオキア攻略以降の十字軍の構成>総勢12,500
第一軍:サン・ジル、ノルマンディー公、タンクレディ 歩兵5,000、騎兵1,000
第二軍:ゴドフロア、フランドル伯 歩兵6,000、騎兵500

<経過2>
・1099年1月 アンティオキアよりイェルサレムに向けて行軍開始
・1099年6月 イェルサレム攻城戦
○1099年7月 イェルサレム陥落、市内での大殺戮。ゴドフロアが実質的な統治者「聖墓守護者」に。
○1099年8月 10,000前後の十字軍、エジプトの30,000の軍勢を撃破
×1101年   小アジアでサン・ジルを総大将とする十字軍が惨敗。以後、シリアへは海路が選ばれるようになる。

<イェルサレム陥落後の経過>
①フランドル伯、ノルマンディー公の帰国により十字軍弱体化。イェルサレムに残ったのは、ゴドフロアとタンクレディの歩兵2,000、騎兵300
②イェルサレム周辺の制圧。
③1100年7月 ゴドフロアの死。サン・ジルのコンスタンティノープルへの撤収。
④アンティオキア公ボエモンドの捕囚
⑤エデッサ伯ボードワンがイェルサレム王「ボードワン一世」に        
⑥いとこのボードワンがエデッサ伯に
⑦タンクレディがアンティオキア公に
⑧ボエモンドの釈放。再びアンティオキア公に。タンクレディは解任。
⑨ハランの戦い。エデッサとアンティオキアの連合軍、イスラム軍に敗北。エデッサ伯ボードワンが3年間に捕虜に。
⑩タンクレディがボードワンが釈放されるまで一時的にエデッサ伯に。
⑪1105年春 サン・ジルが騎兵300でトリポリへ侵攻。イスラムの大軍を破る
⑫1109年 サン・ジルの息子のベルトランがトリポリ攻略、トリポリ伯に
⑫ボエモンド、ビザンチン帝国の都市ドゥレスの攻略に失敗。1111年南伊で死去。
⑬1112年 タンクレディ死去
⑭1118年 ボードワン一世死去 ~十字軍第一世代の全員が退場~
⑮エデッサ伯ボードワンがイェルサレム王に

<反応>
第一次十字軍当時のイスラム世界では、十字軍が宗教を旗印にした軍隊であるとは、誰一人考えていなかった。ビザンチンの皇帝が旧領を再復したいがために傭ったと思い込んでいた。イスラム側が、十字軍が神の旗の下にまとまった軍勢であり、十字軍遠征の目的が、イスラムを撃退し、その地に十字軍国家を打ち立てることを完全にしるのは、この時期よりは80年も後のサラディンによってなのである。

<締めくくり>
皇帝も王も参戦していなかった第一次十字軍の主人公たちは、ヨーロッパ各地に領土をもつ諸侯たちであった。彼らは、ときに、いやしばしば、利己的で仲間割れを繰り返したが、最終目標の前には常に団結した。この点が、利己的で仲間割れすることでは同じだった、イスラム側の領主たちとのちがいであった。それこそが、第一次十字軍が成功した主因なのである。


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