2016年11月11日金曜日

【11】ローマ亡き後の地中海世界 上 (新潮社)

この本では、
イスラム教徒のキリスト教世界への進出(7~10世紀)と
キリスト教世界のイスラム教徒への反撃(11世紀~13世紀)が主に描かれている。

キーワードは
「イスラム教徒(特に海賊)、
(イスラム教徒に連れ去られた)奴隷、
イタリア海洋国家の発展の過程」
となるだろう。

10世紀頃までのイスラム勢の一方的な攻勢に
キリスト教世界はなぜやられてばかりであったのか、
そこからどう反撃していくのかが時系列で分かる本である。



著者は冒頭でイスラム教が台頭した理由を次のように述べる。


『イスラム勢力圏の急速な拡大の要因は、ある歴史研究者によれば次の一事につきる。
「新興の宗教が常にもつ突進力と、アラブ民族の征服欲が合体した結果」
………
しかしこれは、キリスト教側の見方であって、
イスラム側はちがう見方をとる。
彼らは、この時代からは一千三百年が過ぎた現代でもなお、
イスラム教の教えの真正さに人々が感銘を受けたがゆえである、
という見方をとっている。
とはいえ二十一世紀の現在では、
真のイスラム教は暴力の行使を嫌悪している、という論が、
イスラム世界とキリスト教世界の双方から、
両者の歩み寄りのスタート・ラインでもあるかのように言われることが多くなっている。
しかし、つい先頃までの長い歳月にわたって、現実はそうではなかった。
………
宗教が、既成の世俗国家を乗っ取ったという点では似ているキリスト教とイスラム教だが、
ローマの公認宗教になるのに三百年かかったキリスト教に比べて、
イスラム教はこの面でも恵まれていた。
キリスト教の相手は強大で充分に機能していた元首政時代のローマ帝国だったが、
イスラム教が立ち向かった時期のペルシア帝国もビザンチン帝国も弱体化していたからである。
ペルシア帝国は、
北東からの蛮族の侵略とビザンチンとの間の終わりのない戦争で疲弊していたし、
ビザンチン帝国のほうも似たような状態で、
そのうえ、東方のキリスト教ならではの教理論争で、
教会内でさえも分裂し、互いに憎悪し合っていたのである。
………
アレクサンドリアがイスラム勢に占領されたとの報に、
歓声をあげながら街にくり出したのは、
コンスタンティノープルのキリスト教徒たちであったのだ。
帝国内部のこの分裂に加えて、ビザンチン帝国の特質の一つに、
汚職と重税があった。
悪政の要因がこうも重なっては、人々の間に不満が広がるのも当然である。
イスラム教の浸透には、
キリスト教のように三百年もの歳月は必要ではなかったのだ。
絶望している人間は、容易にすがれる相手を見つけるものである。
しかし、深遠な教えは、心の中を清らかにし死後の安心を恵むかもしれないが、
現に生きているこの世での行動に駆り立てるというたぐいの力は与えない。
具体的で現世的な利点が、
えてして人間に、決定的な一歩を踏み出させるきっかけになる。
イスラム教徒になることの魅力は、
複雑で重い税金に苦しんでいたビザンチン帝国のキリスト教徒たちにとっては、
その悩みを一掃してくれると思えたのにちがいない。』
(22-24P)







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