2013年3月17日日曜日

【7】★ローマ人の物語38~40 キリストの勝利(新潮文庫)

塩野七生著のローマ人の物語キリストの勝利(新潮文庫)を読んだ。紀元4世紀。1000年続いた古代ローマは滅亡に急速に向かっている。荒れた農村を復興してくれるものとして期待した蛮族(難民)の帝国内への受け入れは、まったく期待通りにならずに国庫の支出の増大と国内の治安悪化をもたらした。また、カトリック派による国政の乗っ取りは痛々しい。同じキリスト教の数的に言えば多数派のアリウス派への弾圧、および伝統的なローマの宗教への弾圧。塩野氏は客観的にそれらを述べている。客観的であるからこそ、ローマ人の物語は私にとっても面白い。とにもかくにも寛容な国家、ローマ帝国は、カトリック派の国政への進出によって不寛容な国家へと変貌を遂げた。もはや国家の元首の皇帝でさえ、司教に頭を下げなければならなくなった。


「宗教が現世をも支配することに反対の声をあげたユリアヌスは、古代ではおそらく唯一人、一神教のもたらす弊害に気づいた人ではなかったか、と思う。 古代の有識者たちがそれに気づかなかったのは、古代は多神教の世界であって、自分の信ずる神とはちがっても、他者の信ずる神の存在を許容するこの世界では、それを許容しない世界を経験していないために、考えが至らなかったにすぎない(キリストの勝利〔中〕178P)」

「神の真の教えにいっこうに目覚めない私のような不信心者ならば、地獄に落ちると脅されても、見て帰った人がいないのだから地獄の存在とて確かではない、とでも言ってこの種の勧誘には乗らないが、古代人はそうはいかなかったのである。ギリシャ人は薄明りの淋しい冥府の存在を信じていたし、ローマ人は、死ねば二人の天使が両側からささえて天に昇る、と信じていたのである。このように考えるのに慣れてきた古代の人々には、そこに落ちたら責め苦しか待っていない地獄は、新しい概念でもあった。新しければ、なおのこと恐怖もつのる(キリストの勝利〔下〕70-71P)」

「人間は、何かにすがりたいから宗教を求める。だが、すがりたい想いはなぜか、唯一神にお願いするのははばかられるような、身辺の雑事である場合が少なくない。昔は、夫婦喧嘩にさえも守護神がいて、その神に祈願するのでこと足りたのだが、一神教の世の中になった今では、夫婦喧嘩を担当していた女神ヴィリプラカもアウトローの一人になってしまっている。(中略)それで、アンブロシウスが考えついたのが、聖人を大量に生産することである(キリストの勝利〔下〕138-139P)




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